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Posted by ミリタリーブログ at

2011年04月29日

ちょっと歴史の勉強 イギリスという国って

おはようございます。

今日、いよいよロイヤルウェディングですねぇ

伝統のある国ですから
きらびやかな、衣装を纏った近衛師団の隊列が見れることでしょう

現在考えると、近衛師団があるのはイギリスだけですかねぇ・・
これを機に、イギリス軍好きも増えればと思います

さて、イギリス国旗の由来はご存知でしょうか?



イギリスという名の国って実はなくて、正式名称は
UK=United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 と言います

日本では、幕末にイギリス人を表すEnglishが訛って「エゲレス」または「イギリス」という読みと「英吉利」という当字が用いられるようになったみたいです。

この旗を見てると、一つ欠けていることを気づいた方は、イギリス通です(笑)

ウェールズの旗がどこにも入ってません

こんな、旗なんですけど
ウェールズ地方は、13世紀末にイングランドに征服されて
イングランドの一部として扱われました
1536年の合同法によって、一体化されて以来、ウェールズはイングンドになり
スコットランドや北アイルランドと違った経緯となります。

当時のイングランド王が、ウェールズ王家を皆殺しをし、ウェールズ諸侯の反発を恐れましたが
まだ、身重の王妃を、ウェールズに呼び寄せ、そこで出産

「ウェールズで生まれた、次期イングランド国王をウェールズ王と名乗る」

と、うまく言いくるめられた、ウェールズ諸侯
それ以来、イングランド王家の王位継承権の第一番目の子息を
プリンス・オブ・ウェールズという称号となりました
夫人は、プリンセス・オブ・ウェールズ です

現在は、チャールズさんが、プリンス・オブ・ウェールズであり
その夫人は、プリンセス・オブ・ウェールズなんですが・・

前のプリンセス・オブ・ウェールズは、ご逝去された、ダイアナさんでして
国民的人気の彼女から、略奪婚まがいで結婚された、現在の夫人は遠慮して
コーンウォール公爵夫人と名乗ってます

こんなとこから、イギリス事情のややこしさが出てますねぇ

今日結婚される、ウィリアムさんは
ウェールズ大公息ウィリアム王子殿下という称号です
彼が将来、プリンス・オブ・ウェールズとなります。

さて、まぁ
アイルランドのその後の話を書こうと思ってましたが。
目出度い日ですし、また次回にいたします。

本当は、昨日3時間ぐらい、かけて必死で書いてたんですけど。。

ブラウザが固まり、すべてパー (/ー ̄;)シクシク
まぁ、今日は、結婚式ですし
少し、豆知識になりましたでしようか?

さて、一部の人に大人気、歴史FLASHの紹介です
今日は、近代日本の楚となった、日露戦争です







それでは、ごきげんよう



  
タグ :イギリス

Posted by SS-9 at 08:09Comments(3)イギリス

2011年04月19日

ちょっと、歴史の勉強

こんにちは。

仕事がちょいと、忙しく更新なかなか出来ませんでした。

まぁ、今も仕事中ですけど(笑)
夜間指定まで、時間があるので
ブログ更新でもしちゃいます。

アイルランドに関することで、書くかどうか迷いましたが
ミリタリーとは、無関係でもないので
ちょっと、歴史の勉強と思ってよければ見てください。

アイルランドとイングランド
血で血を洗う、テロと戦争を繰り返す間柄になりましたが
なぜ、そんな間柄になったのでしょうか??

その、大元はこのおっさん

イングランド王ヘンリー8世です。
1536年、今から475年も前ですか・・長い闘争の始まりです。
アイルランド征服の為、侵攻しました。

これ以前にも、イングランドはアイルランドに侵攻し占拠もしてました
ヘンリー2世のころ、12世紀頃と言われてますが
当時、小国の連合だったアイルランドは、あっさり占拠され
ヘンリーは、息子のジョンに支配権を与え
「アイルランド卿」の称号を与えました。
以後、イングランド王は「アイルランド卿」を継承しましたが
支配が徹底されておらず、在地貴族たちは、徐々に支配を
離れ、アイルランドの政策に関わるときは
在地貴族に、お伺いを立てて、話をするようになりました。

その、300年後
ヘンリー8世による、軍事侵攻を受けましたが
アイルランド側も、もちろん抵抗し
何と、イングランド王の継承権がある「ランバート・シムネル」
を擁立して、抵抗しました。
この、イングランド王位継承権を持っている者の抵抗に
危機感を感じた、ヘンリー8世は、アイルランドの植民地化を決定

1541年に、従来の「アイルランド卿」から現地貴族の支持もないままに、「アイルランド王」を名乗り
アイルランドの支配を行いました。

ここで、イングランドの最初の植民地で、白人が白人を奴隷化するという行為がされました。
アイルランドでは宗教改革でもカトリックを守り通したため、プロテスタントに切り替わったイングランドとの間で宗教的な違いが存在していた。
イングランドは支配層であるイングランド人の優位性を確定させるためにカトリック刑罰法を規定しカトリックの元支配層の失落とカトリックに対する差別が画策されることになった。

そして、支配の次は、移民です。

1652年にオリバー・クロムウェルによる、反議会派の拠点
アイルランドの最大都市ダブリンに侵攻、占拠を行い
植民地化が徹底される
(このあたりは、清教徒革命を勉強してね)

イングランドからの、移民を本格的に受け入れ
「囲い込み政策」の為、元々のアイルランド人の土地を取り上げ、農地を失った、アイルランド人を奴隷化し
イングランド人による、支配を確固たるものとしました。

「囲い込み政策」・・・羊毛などの需要に応える為、細分化された、農地を一括管理し、羊の放牧地に変化させる政策
元々、アイルランドは農地の分割相続が認められており
兄弟で、親の土地を分割相続した為、農地が細分化されてました。

そして、放牧地を手に入れ、大規模農地が手に入った
支配者たる、イングランド人は
奴隷を使い、商品価値の高い農産物を耕作させ
収穫を取り上げました
アイルランドの主な農産物は、麦
麦の出来る、耕作地には、莫大な地代を請求し
彼らから、かなりの安値で麦を買い叩きました。

もともと、麦が主食だったのですが
食料を取り上げられた、彼らには
わずかな土地で出来、やせた土地でも立派に育つ
「じゃがいも」が、主食になり
人口の3割が、「じゃがいも」しか食べられない貧農生活
を余儀なくされました。



そして、アイルランド歴史上の最大の悲劇
「じゃがいも大飢饉」を迎えます。
1845年~1849年の間
ヨーロッパ全域に、「じゃがいも疫病」が大流行
じゃがいもの、生産量が大幅に低下しました。
貧農層は、食料が確保できず
餓死者が発生しましたが。

大飢饉は、そんな彼らの救済に出なかった、政府の無策が
引き起こした惨劇でした。

現地の、地主や貴族は、支援を行ってましたが
支配層は、ブリテン島に住んでおり
自分達の土地収入低下と、パンなどの、小麦格収入を失うことが、懸念し、当時、政府が打ち出した
「農作物、アイルランドより輸出禁止法」に反対。
政府も、財政難から、積極救済をせずに
アイルランド人に対して、安い価格で、農作物を販売するという、救済策で、乗り切ろうとしました。

さらに、その救済策の対象を「農地を持たない者」に限定
した為、小作人の多くは、2束3文で土地を売り払い
その後、さらに、貧困に没落していきました。

食料がない状況にも関わらず、奴隷を酷使し
アイルランドより、食料の輸出を続け

最終的に、人口の20%に当たる、200万人が、餓死
さらに、ほぼ同数が、アメリカなどに移民していきました。

余談ですが、この移民で後の、アメリカ大統領となる
ケネディ家や、レーガン、クリントンの先祖も移民しました。

移民先のアメリカでも、身なりが汚いばどの差別を受け
同じ、白人同士の差別は続きました。
宗教も、同じカソリック系ですのにねぇ。。

アイルランド人と、イングランド人
対立の始まりと、悲劇を書きました。

私も、さわりだけ書こうと思ってましたが
予想外に長くなってしまいました。
今日は、このあたりにいたします。

みなさんは、歴史はお好きですか??

では、最後に、
世界の揉め事の7割はイギリス原因、輝けるKING OF 揉め事

中東問題を、取り上げた、動画を掲載します。


すばらしい、動画ですねぇ。

見にくい、ブログですいません

では、また。
(一部文章を訂正しました)


  

Posted by SS-9 at 16:21Comments(0)イギリス

2011年04月07日

伝統と改革

みなさん、こんばんは

前回の記事が、あまりにも評判が悪かったので
気を取り直して、イギリス軍ネタにいたします。

突っ込みどころが判らないという、ゲーマー仲間の暖かい支援で成り立ってます
突っ込みがないと寂しいので、突っ込んでね

さて、今回は


Royal Irish Regiment (27th (Inniskilling) 83rd and 87th and Ulster Defence Regiment)

を、お送りいたします。

王立アイルランド連隊(27 及び83及び87 アレスター防衛連隊)
です。
この中の27アレスター防衛連隊は Enniskillen地方の連隊ですが1840年のInniskillingにスペル変更されました



伝統的な衣装を着た、アイリッシュ連隊のみなさんです。

なんせ、北アイルランドの部隊ですので、IRAの武装闘争など
大変苦労を重ねた部隊です。
歴史も古い部隊ですが
一度1922年に解散します。その背景に
1920年にアイルランド統治法が制定し、アイルランドが南北の分割
南北それぞれに、自治権が付与されてましたが、アイルランド独立戦争が始まりました
アイルランド独立戦争の終結に伴い、アイルランド独立に関する条約、英愛条約(英語名:Anglo-Irish Treaty)
に伴い解散、しかし、独立したアイルランド自由国の中で内戦が勃発し
英愛条約の条項に従い、北アイルランドは、独立せず英国に属することになりました。

1960年代後半になると、アメリカ合衆国の公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックと、プロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化した。IRA暫定派を始めとする独立派と英国帰属派、双方の私兵組織と英陸軍、北アイルランド警察が相争う抗争が続き、数多くのテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、この北アイルランド問題によって社会と経済の混乱は極めて劣悪なものになりました。

このような背景から、アルスターの警察予備隊(USC)を昇格させ、アルスター防衛連隊(UDR)が編成されました。

ざっと、アイルランドの背景を説明しましたが、いかがでしょうか?

文字ばかりだしかなり、要約してますから、わかりにくいかもです。

1992年に再編されます。
私のお話は、ここからと致しますね

1992年にイギリス陸軍の常駐部隊として、編成されます。
北アイルランドにて、編成
アイリッシュ連隊として発足しました。

連隊マークは、シャムロック、三つ葉のクローバーです
連隊カラーは、緑で、いたるところで緑が使われてます。


ベレー帽ではなく、カウービンと呼ばれる帽子の緑のハックルと呼ばれる羽根
いたるところに、緑が見えます。

さて、1992年当時の編成では

正規軍 2個大隊
予備役 2個大隊
さらに、北アイルランド常駐大隊として、7個大隊
という、かなり巨大な兵力を持った、連隊でした。

正規軍は、通常のイギリス陸軍の旅団編成されており
予備役は、王立アイルランドレンジャーズ と呼ばれ(かっこいいですよね)
北アイルランド常駐大隊は、ホームサービスと呼ばれ
北アイルランドの各都市に配備されてました。

1999年に16空中強襲旅団が編成され
アイリッシュ連隊、第一大隊が編入されました。
その際、空挺部隊に編入されたので
連隊マークも、ドロップゾーンが制定されました。

右肩に、アイリッシュ連隊の部隊章、ドロップゾーンが見えます
その上は、アイリッシュ連隊のパラシュート章、緑色のパラウイングをつけています
なかなか、いかつい少佐です。

それでも、伝統のシャムロックマークは、捨てきれず

ブッシュハットの横に付けてます
伝統は大事ですね。


北アイルランドで警備任務です

1999年のコソボ
2000年のシエラレオネ
2003年イラク侵攻
2005年、2006年イラク
2006年、2008年アフガニスタン
と、いろんな作戦に参加してます。

そして、イギリスの軍備縮小による再編成で
11個大隊もあった、部隊が縮小されていきます。

まず、予備役の第4、第5大隊王立アイルランドレンジャーズが
正規軍の第2大隊と合併され
第2大隊が、レンジャーズと名乗る
さらに、第2大隊が予備役になり、レンジャーズという名称がなくなります。

そして、北アイルランド常設大隊は
7個大隊が3個大隊に合併、縮小

そして、2006年夏にIRAが武装闘争終結宣言を行い
北アイルランド常設大隊は解散されました。

現在は、正規1個、予備1個という、寂しい連隊として残ってます

まさに、アイルランドの伝統を引き継ぎ
時代とともに、改革をしていった連隊と思います。

またまた、長文で読みにくかったと思いますが、いかがでしたでしょうか?

ちょっと、ブログの方向性を見失いかけてます・・
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・

装備紹介の方が、見やすいのかなぁ。。。

思考錯誤して、仲間を増やしたいと思います。

さて、最後に英軍は関係ないのですが
動画の紹介です、ずいぶん前に公開されてたので
ご存知の方も多いのではないかと思いますが

朝鮮戦争です
すごいですよ、要点をしっかり押さえた、私のお気に入りの動画です
後編に使われている、曲は大好きです。

前編


後編



こんな動画作れたら、素敵ですねぇ

それでは、長い付き合いありがとうございました。
  

Posted by SS-9 at 23:19Comments(5)英軍