スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2011年05月05日

歴史の勉強 その2 アイランドの続き

おはようございます。



アイルランドの古城の一つみたいです、和む風景ですねぇ

前回、「じゃがいも飢饉」という、アイルランド史上最大の悲劇で終わりましたが
その続きです。

「じゃがいも飢饉」以前は、800万人ほどいた人口が、飢饉後、飢餓と移民で
1911年には、410万人まで人口が減少しました。
また、犠牲者も一般市民や貧農層が大半で、それまで公用語だった
「アイルランド語」の使用者が激減しました。
危機のときに、民族意識が高まるのを恐れた、イングランド政府は
アイルランド内に、「国民学校」を設立、英語教育を行い
同時に、アイルランド人の政治家を排斥していきました。

1870年ごろにはアイルランド自治が沸騰してきました。
政治活動を指揮したのは、プロテスタントの大地主であったチャールズ・スチュワート・パーネル
と彼が作り上げた自治同盟である。

イギリスの首相ウィリアム・グラッドストンはパーネルと協力し
1886年と1893年の2度にわたり自治法導入を図ったが、いずれも上院での反対により失敗に終わった。
アイルランドにおけるパーネルの絶大な影響力は
彼が友人の妻と内縁の関係にあったことが発覚したことにより終わりを告げた。

興味深いのは、プロテスタントの支配層と支配組織のイギリスの首相が、アイルランド自治運動を
したことでしょうか、あとは、女性で身を滅ぼすとは、恐ろしいことです

これらの自治権付与への流れのなかで
アイルランド民族主義者、ナショナリスト(独立派)と
イギリスへの帰属を求めるユニオニスト(帰属派)の対立が激化していった。
アイルランド島全体では圧倒的に優勢を占めていたナショナリスト・カトリック教徒が
要求する自治に対し、北東部のアルスター6州で多数を占めていたユニオニスト・国教徒は
自らの経済的、政治的特権が奪われる事を恐れていた。

ナショナリスト中の過激派はイギリスから実力で独立を勝ち取ろうと目論んでいた。
1803年にはロバート・エメットが率いる共和主義者が、
1848年にはトーマス・フランシス・マハーなどのアイルランド青年団が反乱を起こした。
そして1868年には後のIRAの前身となるアイルランド共和同盟(IRB)の暴動が発生した。
これらの事件は皆鎮圧されたが暴力的政治活動という伝統は以後のアイルランド史にも引き継がれる事になる。

1914年9月、第一次世界大戦の勃発に際してイギリス議会はアイルランド自治法を成立させたが
当初この大戦は短期戦に終わると予想されたため、施行は一時停止された。
大戦が終結するまでにイギリス政府は2度にわたり法律の履行を試みたが、
アイルランドではナショナリストとユニオニストの両者ともにアルスター地方の分離に反対した。

1916年にはドイツの支援を受けたアイルランド義勇軍によりイースター蜂起が企てられた。
不十分な計画のまま開始されたダブリン市内での蜂起は英軍により直ちに鎮圧されたが
英軍の軍法会議により首謀者が即刻処刑されたため、蜂起を企てたナショナリストへ同情が集まった。
徴兵の導入が検討されるようになるとナショナリストへの支持がさらに増した。
戦後の1918年12月に行われたアイルランド総選挙ではイースター蜂起に関与したとされたシン・フェインが議席の4分の3を獲得した。
翌年1919年1月21日に開催されたアイルランド共和国議会(ドイル・エアラン)では自らの権限がアイルランド島全域に及ぶと宣言した。

国際法上はイギリス統治下にとどまっていたことに不満を持つナショナリストは1919年から1921年までアイルランド独立戦争(英愛戦争)を起こしアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行った。
1921年にアイルランド側代表、イギリス政府は休戦に同意し、12月には英愛条約が調印された。
条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方の内6州は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまることになった。
現在も続く北アイルランドの帰属問題はこの条約に始まっている。

さて、お勉強はこのあたりで
次回、いよいよ、北アイルランド問題から現在まで
できたらいいなぁ。。
一国の歴史はやはり、膨大でカットする場所を考えます。。

さて、お楽しみの世界史FLASH。。

前回紹介した、日露戦争FLASHを作成された作者の方のページをリンクします

ぜひ、大日本帝国の最後は見ていただきたい作品ですねぇ
それだけだと味気ないので

ガンダムですけどねぇ。。





このテーマ曲、「パリは燃えているか」は、なんか泣けます。。
さて、今日も文章ばかりで恐縮でした。

いつものように、ウィキペディア先生を参考にしております
歴史に興味を持たれたら、調べてみると、面白いですよ。




  

Posted by SS-9 at 07:59Comments(0)イギリス