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Posted by ミリタリーブログ at

2011年05月22日

ちょっと、歴史の勉強 その3

こんばんは

すごく久しぶりの更新な気がします。

なぜか仕事が忙しく、手付かずでした。
まぁ、この時期に忙しいのは、ありがたいことなんでしょうけど。。。

さて、いよいよ、最後
苦悩のアイルランドのラストと参ります。


ナショナリストによる落書きです
国旗の三色に塗られた北アイルランドを挟むように
「アイルランドは自由なアイリッシュの国、自由でないアイルランドは平和に騙されない」
強いメッセージですね

前回、独立戦争を起こし
イギリス政府との休戦状態に入り
ようやく、アイルランドの独立が成立したところで
話が終わっていましたかね

英愛条約が締結されましたが
北アイルランド地方は、もともと独立には消極的であった為
そのまま、イギリス連邦に残る結果となりました。
独立運動を展開していた、民族主義者の意見も割れ
英愛条約の、北アイルランドを除く独立を
認めると、認めないで、意見が対立
内戦に発達いたしました。
1921年~1922年の間に同じ独立派同士の内戦で
多数の死者を出し、終結
この、内戦の両陣営がそのまま、アイルランドの政党として
発達、現在も続いています。

1937年に、国家の独立の象徴と言える、憲法が公布
国名をエールとしました。

ここに、イギリス連邦所属の国家エールが誕生したのですが
何せ、積年の恨みが積もっています。

第2次世界大戦が始まると、イギリス連邦の各国家は
宗主国にしたがい、枢軸軍に宣戦布告しましたが。
アイルランドは、中立を維持します。
もちろん、日本にも宣戦布告してません
当時のアイルランドの人々は、日本によるイギリスの殲滅を期待してたようです

アメリカの再三の誘いも断り、中立を維持しました。
国家としては、中立を維持しましたが
数万人規模の、義勇兵がイギリス軍として参加したり
天候情報の提供などは、行っていたようです。

1949年に、念願のイギリス連邦より離脱
現在にいたります。

カソリック傾向が強い国家ですが
現在は、離婚が合法化され
同性愛は犯罪でなくなり
避妊も認められました・・・・

と、これは、南アイルランド、現在のアイルランドですが
一方の、北アイルランドは、血みどろの都市テロが繰り広げられました。


北アイルランドは、イギリスであり
自治権がありました。
1921年に設立された、アルスター統一党政府による
統治が行われ
南アイルランドが、カトリックの国家とは違い
「プロテスタントによる、プロテスタント国家」
と宣言しておりました。

アルスター政府は、プロテスタント門徒に有利になるよう
カトリック教徒に対して、徹底した差別を行い
職業、住居、政治活動の参加など、抑制を行いました。

1960年代に、アメリカの公民権運動(黒人差別撤廃運動)
の影響を受け、カトリック系住民のデモ運動が拡大しました
アルスター政府は、王立アルスター警察隊(RUC)を使い
暴力的排除で、取締りを行いました。

FALで武装するRUCです

RUCは、プロテスタント門徒で構成されていました。
カトリック系住民のデモは、住民同士のトラブルも誘発

また、北部を除く独立を認めない、IRA(アイルランド共和国軍)のテロも続発
RUCは、テロの標的になり、住民の恨みを買い
それを、権力と暴力で排除し、社会不安が増大しました。

IRAのテロに業を煮やしたアルスター政府は
1966年に、IRAに対抗するため、プロテスタント系の非合法の民兵組織、アルスター義勇軍(UVF)を組織し
カトリック住民に対して、テロ活動を実施
血で血を洗う、テロの応酬合戦がスタートしました。

1969年、いよいよ、政情不安が、自治政府で対処しきれなく
なった、アルスター政府は、イギリス軍に派兵を要請
警察の代わりに、イギリス軍が、街の治安維持を行うように
なりました。

1970年代に、テロは絶頂期を迎え
デモ活動に参加をしようとした、非武装の一般市民に
対して、バリケードや、催涙弾、放水などで
集会の阻止を図ろうとした、イギリス軍に対して
一部市民が暴徒化、火炎瓶、投石などで市民が反撃
とうとう、軍が発砲し、市民側に犠牲者がでました。
「血の日曜事件」と「血の金曜事件」
と呼ばれ、この事件後
イギリス政府は、アルスター政府に統治能力なしと判断し
イギリスによる、直接統治がスタートしました。

まだ、少女でしょうか。。憎悪の深さを感じます

空挺第一大隊の兵士による、暴徒鎮圧ですねぇ

1970年代の北アイルランドは。。

政府組織であるRUCと、イギリス軍
政府非公認のテロ組織、プロテスタント系
アルスター防衛同盟、アルスター義勇軍(UVF)

カトリック系のIRA暫定派、IRA、アイルランド国民解放軍

の互いによる、攻撃、テロが激化

3000名の犠牲者を生みました。

直接統治となった、北アイルランドですが
直接統治になっても、テロは収まりませんでした。
中でも、IRA暫定派のテロ活動はすさまじく
断固とした、処置が必要となり
RUCの予備隊である、USCを昇格
イギリス軍の装備と訓練を施し
アルスター防衛連隊(UDR)を組織しました。
名前がかっこいい、ロイヤルアイリッシュレンジャーズ ですね

RUCとの撮影です。

怖い落書きです。。

この、強硬姿勢により、ようやくテロは減少してきましたが
IRAが好意的になることはなく
1980年に、IRAは、リビアから武器を大量購入し
攻勢にでようとしましたが
イギリス情報局(MI5)の諜報活動で、失敗し
IRAも、テロ活動から、政治活動による、アイルランド統一
を目指すよう、シフト変更しました。


このような、流れがあり
両陣営とも、和平の道を模索し
1998年、歴史的な、ベルファスト合意を見ることができました。
北アイルランドの差別条項を撤廃し、民族派、帰属派
それぞれが、政治に参加することとなり
IRAは北アイルランドのイギリス帰属を承認

一切のテロ活動の停止を合意できました。

その中で、イギリス首相 ブレアが
「じゃがいも飢饉はすまなかった」
と、侘びを入れたそうです。

これにて、私のアイルランド歴史、うんちくは終了です。
長きのお付き合いありがとうございました。
始めは、軽くにしようと思ってましたが
やはり、1国の歴史は重く
簡単には終われないですね

次回からは、元々の16空中強襲旅団の部隊としましょうかねぇ

さて、歴史FLASH
今日は


こんな、戦いもあったんですねぇ
今では、政府に従わない現地指揮官として、叩かれそうですけど
紳士としてのプライドが許さなかったんでしょう
さすが、ジェントルマンです、いょっ! 2枚舌

あと、もう一つ
You-Tube にあがってなかったんですが


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私は知りませんでした。。。ベルリンって大変だったんですねぇ

それでは、今日はこの辺で









  

Posted by SS-9 at 07:28Comments(8)イギリス