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Posted by ミリタリーブログ at

2011年05月29日

ロイヤル電機および機械学会

こんにちは

どんよりした天気です。
とうとう、近畿地方も梅雨入りの模様
雨で、サバゲが流れやすい季節となりました。

こんなときは、銃の整備や装備の更新にはうってつけですが
香港ショップで、ダニエルのレールとZ型マウントを手に入れました。
フラッシュハイダーも出ます。。。

しかし、私の銃は、奥ゆかしいR-85A1

うーーーーーーーん

L-85A2が欲しくなってきました。。。
でも、銃より装備にお金つぎ込みたいし。。
当分、ジレンマが残りそうです。
いまだに、オスプレイもってませんから

さて、久しぶりに、16空中強襲旅団の部隊の紹介です。

エキサイト先生の翻訳では
ロイヤル電機および機械学会 となる
第 7 Royal Electrical and Mechanical Engineers (R.E.M.E)


整備大隊のお話です。
ランクスライドに、槌とペンチが書かれているのが彼らを表してますね
まさに、縁の下の力持ち
専門の教育を受けた、エンジニアの集団です。
整備がなければ、ヘリも大砲もそして小銃までも動きません


REMEの部隊章、なんかかっこいいです

少し、憶測ですけど。。。
16空中強襲旅団に配置されている
第7REME は、おそらく、全員パラシュート降下資格を持っていると思います。



おそらくと言うのは。。

23工兵連隊にしろ、216通信中隊にしろ
「おれたちゃ、パラシュート降下するエリート部隊なんだぜ」
という、自慢があるのですが。。
第7REME には、見つからない。。。
でも、降下訓練の画像はあるので
多分、持っていると思いますけど確証はありません
整備兵に、パラシュート降下が必要なのかどうかの疑問
はありますけど。。

各専門分野に別れてます。

航空機整備

アビオニクス技術者

電気技師

自動車整備工

戦車等重量物回収

武器

溶接工

工具部品管理


という、専門分野があります。
もちろん、その専門分野の中にも細分化されてます。

整備大隊として、16空中強襲大隊に参加する部隊と
車両や大砲を運用する部隊にも
中隊規模程度でしょうか?
整備部隊が付属してます。
第7砲兵連隊とか、機甲大隊なんかには
小規模な整備部隊は、Light Aid Detachment (LAD).
と呼ばれます。直訳は簡易分解補助 かな?

街の修理屋さん的な規模のようです
ここで、日頃のメンテナンスを行い
「あーこりゃ、俺もうわからんは」
と、匙を投げると、大隊整備に回す仕組みのようです

まぁ、街の電気屋が、さんざんいじり倒して
むちゃくちゃにしてから、メーカー送りにして
「無料で直せ」と無理難題を吹っかけるようですな
(ちょっと、私怨が・・)

それでも、ダメなら、製造元に送るのでしょうねぇ

こんな、地味な縁の下の部隊

REME

なんか、映画とかでは整備兵って、やられキャラみたいな感じですけど
専門的高度な知識と、親方の腕にかかってます。
しかし、軍隊ってのは、いろんな職種で支えられてますねぇ

では、今日の歴史の勉強は。。。



阿片戦争です。

歴史の教科書程度の知識しかなかったんですが
さすが、大英帝国
もう、むちゃくちゃです。
阿片戦争に反対した、イギリスの政治家 グラッドストーン
歴史に名を残す名政治家、アイルランドの独立にも尽力したり
しましたけどねぇ

阿片戦争には、反対だったんですが・・
個人は阿片入りコーヒーがなによりも大好物だったそうです (苦笑)

あと、もう一本



これは、もうなんでしょうねぇ
不思議と泣けます、先祖に感謝です
多くは語らず、最後まで見てください。
トルコって国が好きになりました
まぁ。。実際の現場は知らないですけど
わが国、政府は・・・ですけど
国民性と先祖はすばらしいですね

それでは、また。








  

Posted by SS-9 at 08:18Comments(3)英軍

2011年05月22日

ちょっと、歴史の勉強 その3

こんばんは

すごく久しぶりの更新な気がします。

なぜか仕事が忙しく、手付かずでした。
まぁ、この時期に忙しいのは、ありがたいことなんでしょうけど。。。

さて、いよいよ、最後
苦悩のアイルランドのラストと参ります。


ナショナリストによる落書きです
国旗の三色に塗られた北アイルランドを挟むように
「アイルランドは自由なアイリッシュの国、自由でないアイルランドは平和に騙されない」
強いメッセージですね

前回、独立戦争を起こし
イギリス政府との休戦状態に入り
ようやく、アイルランドの独立が成立したところで
話が終わっていましたかね

英愛条約が締結されましたが
北アイルランド地方は、もともと独立には消極的であった為
そのまま、イギリス連邦に残る結果となりました。
独立運動を展開していた、民族主義者の意見も割れ
英愛条約の、北アイルランドを除く独立を
認めると、認めないで、意見が対立
内戦に発達いたしました。
1921年~1922年の間に同じ独立派同士の内戦で
多数の死者を出し、終結
この、内戦の両陣営がそのまま、アイルランドの政党として
発達、現在も続いています。

1937年に、国家の独立の象徴と言える、憲法が公布
国名をエールとしました。

ここに、イギリス連邦所属の国家エールが誕生したのですが
何せ、積年の恨みが積もっています。

第2次世界大戦が始まると、イギリス連邦の各国家は
宗主国にしたがい、枢軸軍に宣戦布告しましたが。
アイルランドは、中立を維持します。
もちろん、日本にも宣戦布告してません
当時のアイルランドの人々は、日本によるイギリスの殲滅を期待してたようです

アメリカの再三の誘いも断り、中立を維持しました。
国家としては、中立を維持しましたが
数万人規模の、義勇兵がイギリス軍として参加したり
天候情報の提供などは、行っていたようです。

1949年に、念願のイギリス連邦より離脱
現在にいたります。

カソリック傾向が強い国家ですが
現在は、離婚が合法化され
同性愛は犯罪でなくなり
避妊も認められました・・・・

と、これは、南アイルランド、現在のアイルランドですが
一方の、北アイルランドは、血みどろの都市テロが繰り広げられました。


北アイルランドは、イギリスであり
自治権がありました。
1921年に設立された、アルスター統一党政府による
統治が行われ
南アイルランドが、カトリックの国家とは違い
「プロテスタントによる、プロテスタント国家」
と宣言しておりました。

アルスター政府は、プロテスタント門徒に有利になるよう
カトリック教徒に対して、徹底した差別を行い
職業、住居、政治活動の参加など、抑制を行いました。

1960年代に、アメリカの公民権運動(黒人差別撤廃運動)
の影響を受け、カトリック系住民のデモ運動が拡大しました
アルスター政府は、王立アルスター警察隊(RUC)を使い
暴力的排除で、取締りを行いました。

FALで武装するRUCです

RUCは、プロテスタント門徒で構成されていました。
カトリック系住民のデモは、住民同士のトラブルも誘発

また、北部を除く独立を認めない、IRA(アイルランド共和国軍)のテロも続発
RUCは、テロの標的になり、住民の恨みを買い
それを、権力と暴力で排除し、社会不安が増大しました。

IRAのテロに業を煮やしたアルスター政府は
1966年に、IRAに対抗するため、プロテスタント系の非合法の民兵組織、アルスター義勇軍(UVF)を組織し
カトリック住民に対して、テロ活動を実施
血で血を洗う、テロの応酬合戦がスタートしました。

1969年、いよいよ、政情不安が、自治政府で対処しきれなく
なった、アルスター政府は、イギリス軍に派兵を要請
警察の代わりに、イギリス軍が、街の治安維持を行うように
なりました。

1970年代に、テロは絶頂期を迎え
デモ活動に参加をしようとした、非武装の一般市民に
対して、バリケードや、催涙弾、放水などで
集会の阻止を図ろうとした、イギリス軍に対して
一部市民が暴徒化、火炎瓶、投石などで市民が反撃
とうとう、軍が発砲し、市民側に犠牲者がでました。
「血の日曜事件」と「血の金曜事件」
と呼ばれ、この事件後
イギリス政府は、アルスター政府に統治能力なしと判断し
イギリスによる、直接統治がスタートしました。

まだ、少女でしょうか。。憎悪の深さを感じます

空挺第一大隊の兵士による、暴徒鎮圧ですねぇ

1970年代の北アイルランドは。。

政府組織であるRUCと、イギリス軍
政府非公認のテロ組織、プロテスタント系
アルスター防衛同盟、アルスター義勇軍(UVF)

カトリック系のIRA暫定派、IRA、アイルランド国民解放軍

の互いによる、攻撃、テロが激化

3000名の犠牲者を生みました。

直接統治となった、北アイルランドですが
直接統治になっても、テロは収まりませんでした。
中でも、IRA暫定派のテロ活動はすさまじく
断固とした、処置が必要となり
RUCの予備隊である、USCを昇格
イギリス軍の装備と訓練を施し
アルスター防衛連隊(UDR)を組織しました。
名前がかっこいい、ロイヤルアイリッシュレンジャーズ ですね

RUCとの撮影です。

怖い落書きです。。

この、強硬姿勢により、ようやくテロは減少してきましたが
IRAが好意的になることはなく
1980年に、IRAは、リビアから武器を大量購入し
攻勢にでようとしましたが
イギリス情報局(MI5)の諜報活動で、失敗し
IRAも、テロ活動から、政治活動による、アイルランド統一
を目指すよう、シフト変更しました。


このような、流れがあり
両陣営とも、和平の道を模索し
1998年、歴史的な、ベルファスト合意を見ることができました。
北アイルランドの差別条項を撤廃し、民族派、帰属派
それぞれが、政治に参加することとなり
IRAは北アイルランドのイギリス帰属を承認

一切のテロ活動の停止を合意できました。

その中で、イギリス首相 ブレアが
「じゃがいも飢饉はすまなかった」
と、侘びを入れたそうです。

これにて、私のアイルランド歴史、うんちくは終了です。
長きのお付き合いありがとうございました。
始めは、軽くにしようと思ってましたが
やはり、1国の歴史は重く
簡単には終われないですね

次回からは、元々の16空中強襲旅団の部隊としましょうかねぇ

さて、歴史FLASH
今日は


こんな、戦いもあったんですねぇ
今では、政府に従わない現地指揮官として、叩かれそうですけど
紳士としてのプライドが許さなかったんでしょう
さすが、ジェントルマンです、いょっ! 2枚舌

あと、もう一つ
You-Tube にあがってなかったんですが


ニコニコアカウントお持ちでない方はこちら

私は知りませんでした。。。ベルリンって大変だったんですねぇ

それでは、今日はこの辺で









  

Posted by SS-9 at 07:28Comments(8)イギリス

2011年05月05日

歴史の勉強 その2 アイランドの続き

おはようございます。



アイルランドの古城の一つみたいです、和む風景ですねぇ

前回、「じゃがいも飢饉」という、アイルランド史上最大の悲劇で終わりましたが
その続きです。

「じゃがいも飢饉」以前は、800万人ほどいた人口が、飢饉後、飢餓と移民で
1911年には、410万人まで人口が減少しました。
また、犠牲者も一般市民や貧農層が大半で、それまで公用語だった
「アイルランド語」の使用者が激減しました。
危機のときに、民族意識が高まるのを恐れた、イングランド政府は
アイルランド内に、「国民学校」を設立、英語教育を行い
同時に、アイルランド人の政治家を排斥していきました。

1870年ごろにはアイルランド自治が沸騰してきました。
政治活動を指揮したのは、プロテスタントの大地主であったチャールズ・スチュワート・パーネル
と彼が作り上げた自治同盟である。

イギリスの首相ウィリアム・グラッドストンはパーネルと協力し
1886年と1893年の2度にわたり自治法導入を図ったが、いずれも上院での反対により失敗に終わった。
アイルランドにおけるパーネルの絶大な影響力は
彼が友人の妻と内縁の関係にあったことが発覚したことにより終わりを告げた。

興味深いのは、プロテスタントの支配層と支配組織のイギリスの首相が、アイルランド自治運動を
したことでしょうか、あとは、女性で身を滅ぼすとは、恐ろしいことです

これらの自治権付与への流れのなかで
アイルランド民族主義者、ナショナリスト(独立派)と
イギリスへの帰属を求めるユニオニスト(帰属派)の対立が激化していった。
アイルランド島全体では圧倒的に優勢を占めていたナショナリスト・カトリック教徒が
要求する自治に対し、北東部のアルスター6州で多数を占めていたユニオニスト・国教徒は
自らの経済的、政治的特権が奪われる事を恐れていた。

ナショナリスト中の過激派はイギリスから実力で独立を勝ち取ろうと目論んでいた。
1803年にはロバート・エメットが率いる共和主義者が、
1848年にはトーマス・フランシス・マハーなどのアイルランド青年団が反乱を起こした。
そして1868年には後のIRAの前身となるアイルランド共和同盟(IRB)の暴動が発生した。
これらの事件は皆鎮圧されたが暴力的政治活動という伝統は以後のアイルランド史にも引き継がれる事になる。

1914年9月、第一次世界大戦の勃発に際してイギリス議会はアイルランド自治法を成立させたが
当初この大戦は短期戦に終わると予想されたため、施行は一時停止された。
大戦が終結するまでにイギリス政府は2度にわたり法律の履行を試みたが、
アイルランドではナショナリストとユニオニストの両者ともにアルスター地方の分離に反対した。

1916年にはドイツの支援を受けたアイルランド義勇軍によりイースター蜂起が企てられた。
不十分な計画のまま開始されたダブリン市内での蜂起は英軍により直ちに鎮圧されたが
英軍の軍法会議により首謀者が即刻処刑されたため、蜂起を企てたナショナリストへ同情が集まった。
徴兵の導入が検討されるようになるとナショナリストへの支持がさらに増した。
戦後の1918年12月に行われたアイルランド総選挙ではイースター蜂起に関与したとされたシン・フェインが議席の4分の3を獲得した。
翌年1919年1月21日に開催されたアイルランド共和国議会(ドイル・エアラン)では自らの権限がアイルランド島全域に及ぶと宣言した。

国際法上はイギリス統治下にとどまっていたことに不満を持つナショナリストは1919年から1921年までアイルランド独立戦争(英愛戦争)を起こしアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行った。
1921年にアイルランド側代表、イギリス政府は休戦に同意し、12月には英愛条約が調印された。
条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方の内6州は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまることになった。
現在も続く北アイルランドの帰属問題はこの条約に始まっている。

さて、お勉強はこのあたりで
次回、いよいよ、北アイルランド問題から現在まで
できたらいいなぁ。。
一国の歴史はやはり、膨大でカットする場所を考えます。。

さて、お楽しみの世界史FLASH。。

前回紹介した、日露戦争FLASHを作成された作者の方のページをリンクします

ぜひ、大日本帝国の最後は見ていただきたい作品ですねぇ
それだけだと味気ないので

ガンダムですけどねぇ。。





このテーマ曲、「パリは燃えているか」は、なんか泣けます。。
さて、今日も文章ばかりで恐縮でした。

いつものように、ウィキペディア先生を参考にしております
歴史に興味を持たれたら、調べてみると、面白いですよ。




  

Posted by SS-9 at 07:59Comments(0)イギリス