2011年04月19日

ちょっと、歴史の勉強

こんにちは。

仕事がちょいと、忙しく更新なかなか出来ませんでした。

まぁ、今も仕事中ですけど(笑)
夜間指定まで、時間があるので
ブログ更新でもしちゃいます。

アイルランドに関することで、書くかどうか迷いましたが
ミリタリーとは、無関係でもないので
ちょっと、歴史の勉強と思ってよければ見てください。

アイルランドとイングランド
血で血を洗う、テロと戦争を繰り返す間柄になりましたが
なぜ、そんな間柄になったのでしょうか??
ちょっと、歴史の勉強

その、大元はこのおっさん

イングランド王ヘンリー8世です。
1536年、今から475年も前ですか・・長い闘争の始まりです。
アイルランド征服の為、侵攻しました。

これ以前にも、イングランドはアイルランドに侵攻し占拠もしてました
ヘンリー2世のころ、12世紀頃と言われてますが
当時、小国の連合だったアイルランドは、あっさり占拠され
ヘンリーは、息子のジョンに支配権を与え
「アイルランド卿」の称号を与えました。
以後、イングランド王は「アイルランド卿」を継承しましたが
支配が徹底されておらず、在地貴族たちは、徐々に支配を
離れ、アイルランドの政策に関わるときは
在地貴族に、お伺いを立てて、話をするようになりました。

その、300年後
ヘンリー8世による、軍事侵攻を受けましたが
アイルランド側も、もちろん抵抗し
何と、イングランド王の継承権がある「ランバート・シムネル」
を擁立して、抵抗しました。
この、イングランド王位継承権を持っている者の抵抗に
危機感を感じた、ヘンリー8世は、アイルランドの植民地化を決定

1541年に、従来の「アイルランド卿」から現地貴族の支持もないままに、「アイルランド王」を名乗り
アイルランドの支配を行いました。

ここで、イングランドの最初の植民地で、白人が白人を奴隷化するという行為がされました。
アイルランドでは宗教改革でもカトリックを守り通したため、プロテスタントに切り替わったイングランドとの間で宗教的な違いが存在していた。
イングランドは支配層であるイングランド人の優位性を確定させるためにカトリック刑罰法を規定しカトリックの元支配層の失落とカトリックに対する差別が画策されることになった。

そして、支配の次は、移民です。

1652年にオリバー・クロムウェルによる、反議会派の拠点
アイルランドの最大都市ダブリンに侵攻、占拠を行い
植民地化が徹底される
(このあたりは、清教徒革命を勉強してね)

イングランドからの、移民を本格的に受け入れ
「囲い込み政策」の為、元々のアイルランド人の土地を取り上げ、農地を失った、アイルランド人を奴隷化し
イングランド人による、支配を確固たるものとしました。

「囲い込み政策」・・・羊毛などの需要に応える為、細分化された、農地を一括管理し、羊の放牧地に変化させる政策
元々、アイルランドは農地の分割相続が認められており
兄弟で、親の土地を分割相続した為、農地が細分化されてました。

そして、放牧地を手に入れ、大規模農地が手に入った
支配者たる、イングランド人は
奴隷を使い、商品価値の高い農産物を耕作させ
収穫を取り上げました
アイルランドの主な農産物は、麦
麦の出来る、耕作地には、莫大な地代を請求し
彼らから、かなりの安値で麦を買い叩きました。

もともと、麦が主食だったのですが
食料を取り上げられた、彼らには
わずかな土地で出来、やせた土地でも立派に育つ
「じゃがいも」が、主食になり
人口の3割が、「じゃがいも」しか食べられない貧農生活
を余儀なくされました。

ちょっと、歴史の勉強


そして、アイルランド歴史上の最大の悲劇
「じゃがいも大飢饉」を迎えます。
1845年~1849年の間
ヨーロッパ全域に、「じゃがいも疫病」が大流行
じゃがいもの、生産量が大幅に低下しました。
貧農層は、食料が確保できず
餓死者が発生しましたが。

大飢饉は、そんな彼らの救済に出なかった、政府の無策が
引き起こした惨劇でした。

現地の、地主や貴族は、支援を行ってましたが
支配層は、ブリテン島に住んでおり
自分達の土地収入低下と、パンなどの、小麦格収入を失うことが、懸念し、当時、政府が打ち出した
「農作物、アイルランドより輸出禁止法」に反対。
政府も、財政難から、積極救済をせずに
アイルランド人に対して、安い価格で、農作物を販売するという、救済策で、乗り切ろうとしました。

さらに、その救済策の対象を「農地を持たない者」に限定
した為、小作人の多くは、2束3文で土地を売り払い
その後、さらに、貧困に没落していきました。

食料がない状況にも関わらず、奴隷を酷使し
アイルランドより、食料の輸出を続け

最終的に、人口の20%に当たる、200万人が、餓死
さらに、ほぼ同数が、アメリカなどに移民していきました。

余談ですが、この移民で後の、アメリカ大統領となる
ケネディ家や、レーガン、クリントンの先祖も移民しました。

移民先のアメリカでも、身なりが汚いばどの差別を受け
同じ、白人同士の差別は続きました。
宗教も、同じカソリック系ですのにねぇ。。

アイルランド人と、イングランド人
対立の始まりと、悲劇を書きました。

私も、さわりだけ書こうと思ってましたが
予想外に長くなってしまいました。
今日は、このあたりにいたします。

みなさんは、歴史はお好きですか??

では、最後に、
世界の揉め事の7割はイギリス原因、輝けるKING OF 揉め事

中東問題を、取り上げた、動画を掲載します。


すばらしい、動画ですねぇ。

見にくい、ブログですいません

では、また。
(一部文章を訂正しました)





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Posted by SS-9 at 16:21│Comments(0)イギリス
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